北川盆踊り保存会は、笠岡市北川地区(走出・甲弩)の盆踊りの保存・再生を図り、末永く後世に伝えるために活動しています。北川の盆踊りは「薬師踊り」が発祥です。
成り立ち
薬師踊りの由来
-
走り出た人びと
薬師踊りは、持宝院が所蔵する史料「童男身観世音伝記」(貞享三年、持宝寺第二世住職 増龍 著)にある「走出(はしりで)」に基づくと伝えられています。
-
光明の夜
室町時代の正月の日暮れ、神島の老人が夢のお告げどおり海辺の洞窟で金の仏像を見つけ、持宝院へ納めました。住職が人びとの幸せを薬師如来と観音菩薩に祈ると、光明が神島まで照らし、驚いた村中の老若男女が屋外に走り出て光を拝んだといいます。
-
踊りになる
老若男女が走り出た姿を踊りにして、薬師如来と観音菩薩をお祀りし、先祖を供養したことが伝わっています。
-
いまの薬師踊り
昭和五十年ごろ、薬師様の縁日にふさわしい歌詞で誰でも踊れるようにと、いまの歌詞と踊りに改められた「薬師踊り」が生まれました。踊り方は、もとの「三つ拍子」が基になっています。
保存会の資料「薬師踊りの由来」より
あゆみ
室町の言い伝えから、いまのよっちゃれまで。
-
室町時代
持宝院の史料に伝わる「走出」の言い伝え。薬師踊りのおこりとされる。
-
昭和30〜40年代半ば
北川の盆踊りがたいへん盛んに。「ひとつ拍子」「二つ拍子」「三つ拍子」の手踊りのほか、松山踊り・やっとさ・梅が枝踊りなどの地踊りがあった。薬師縁日祭や小学校の盆踊り大会では地区対抗で競演した。
-
昭和50年ごろ
薬師様の縁日にふさわしい歌詞で、誰でも踊れる「薬師踊り」が生まれる。作詞は当時の持宝院檀家総代、故 藤谷時雄氏(元北川公民館長)らが中心となった。
-
昭和52年
「第一回笠岡市ふるさとまつり盆踊り大会」に「薬師踊り」で出演。いまに引き継がれる。
-
平成27年(2015年)
会則を定め、北川盆踊り保存会が発足。
-
令和6年(2024年)
「笠岡よっちゃれの夜」で、北川盆踊り保存会として第3位。
-
令和7年(2025年)
保存会の会員と地区の有志が「北川おどり隊」として「笠岡よっちゃれの夜2025」に出場し、優勝。
-
令和8年(2026年)
「笠岡よっちゃれの夜2026」で第3位に入賞。
保存会のめあて
北川地区の盆踊りの保存・再生を図り、末永く後世に伝承すると共に、新しい地方文化の創出につとめ、もって明るい地域づくりに貢献する。
平成27年(2015年)に発足しました。
走出のお薬師さん(持宝院)
薬師踊りのもとになった史料を持つ持宝院(浄瑠璃山)は、「走出のお薬師さん」と呼ばれています。本尊は薬師如来です。笠岡市の文化財解説によると、昔から病、とくに目の病にご利益があるとして信仰を集めてきました。寛文12年(1672年)に井原の上出部から、延福寺の跡(市指定史跡)へ移ってきたと伝わります。境内の梵鐘は建長3年(1251年)の作で、県の重要文化財です。
北川という土地
北川地区は笠岡市の北の端にあり、北側を小田川が流れ、東は矢掛町、西は井原市に接しています。米づくりの盛んな土地です。明治22年に甲弩村と走出村が合わさって北川村となり、昭和35年に笠岡市の一部になりました。
組織図
役員は総会で会員の中から選びます。任期は2年です(会則より)。
- 会長1名
- 副会長1名
- 理事若干名
- 庶務・会計
- 会費の収納と会員募集
- 総会・役員会の開催
- 盆踊り練習会
- 指導者講習会
- 文化行事・事業への参加
- 薬師踊りの解説書
- 盆踊りの再生
- 広報紙の編集・発行
部会の部長・副部長は理事が務め、部会員は会長が会員の中からお願いします(部会運営要領より)。
このページの出典
- 北川盆踊り保存会「薬師踊りの由来」
- 北川盆踊り保存会 会則・部会運営要領・組織図
- 会報「やぐら」令和7年度 第1号
- 笠岡市立北川小学校「学校案内」(地域の様子)